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日常を大切にしたい時代

Party People(パーティ・ピープル)。大学生になると突如"パリピ"という略称で日常会話に出現したこの名詞。基本的に良い意味では使われないのが現状だ。個人的イメージだが、LMFAOをかけながら集団で縦ノリしてたらそれはもう立派なパリピだ。LMFAOはすごいよ。パリピは一生信奉すべき存在だ。

さて、今回のテーマは"日常"だ。なんか最近、これを重視する風潮がある。例えば"逃げるは恥だが役に立つ"で描かれたのは、契約結婚という非現実的なものに見えて、実際はみくりとひらまささんの、まあ星野源さんに言わせれば、"くだらない"日常だった。日常、つまりは等身大か、その彩り方は人それぞれ。

パリピは、毎日を彩るために、毎日のようにパーティを開く(偏見)。ぼくたちは、日々の中に"くだらない"何か輝くものを見つけては喜び、ツイッターにつぶやく。2〜3個くらい、いいねをしてもらえる。

特別な日というものは大切である。恋人との記念日、誕生日、クリスマス、ハロウィン。しかしそれに限るとなると、年に多い人でも10回くらいしか、楽しい日がないことになる。それは少し寂しくないか?もし日常を真顔で生きろと言われたら、ぼくらの人生はどうなるのだろうか。言わずもがな、すごくつまらないものになると思う。"つまらない"と"くだらない"のニュアンスはだいぶ違うとぼくは思っている。

こういうことを考えていると、今まで全く理解を示さなかったパリピという人種の気持ちも、少しはわかるようになってきたのである。アプローチの仕方が違うだけなのだな、と。根っこのところでは多分一緒なのだ。"くだらない"日常を、彼らも享受している。彩りを、求めている。みんな、大変なんだな。

だが。ぼくはやっぱり、LMFAOが流れても「ああうるせえな」と思うのだろうし、とてもじゃないがパリピの中に入って腰を振ろうなんて思わない。今日もそっと風景とか、そういうくだらないものを切り取ってはツイートし、2、3個のいいねをもらうのだ。